会報6号より ブリーダー物語「いのち」 友成 晴世

 右の肋骨の下から二つ目と三つ目の中間、一気に針を差し込まないとかえって痛い思いをさせてしまうから』と言われた通り、触れるまでもなくやせ細って目で見ただけで数えられる細い肋骨を、それでも一つ二つと数えながら指でまさぐり、弾カを失った皮膚のかすかな抵抗にあいながら思い切って針を差し込む。 3ccのネブタール液がゆっくりとキリの心臓に入って行く。

 少しの間があったのちキリはちょっと小さく身体を震わせて大きく息を吸い込むとそのまま息をしなくなった。

『アア!これで終わった!終わった!』

「オイ!オイ!」

 耳元で呼ばれて私は夢から覚める。身体中にじっとりと汗をかいて。

「また、うなされていたぞ」

 毎晩のように私はこの悪夢にうなされて主人に起こされる。 目覚めるとさらに現実は悪夢以上の悲惨が待っていた。

 四カ月目だったキリは私のお誕生日のプレゼントとして霧の深い晩、私のところにやって来た。手足の骨は華奢で細く、身体は小さくてとても四ヶ月とは思えなかった。それがまたかわいくて、その小さな身体を抱き締めて『小さいキリ、かわいいキリ、こおんまま大きくならなくていいのよ』耳元でそう囁くと破けるほどゴロゴロうれしそうに喉を鳴らし、それは“ええ、大きくなるから大丈夫。心配しないで"とキリが私に応えてくれているように思えるのだった。

 いつもの遅い夕食を済ませて、さあキリと遊んであげようと捜すと、暗い椅子の下にうずくまっている。

「どうしたのキリ、こんなところで何していたの?」

 抱こうとして手を伸ばした次の瞬間、電流が走ったようにキリの身体が反り返ってバタンと倒れ手足がグーンとつっぱった。恐ろしい瞬間だった。顔を見ると瞳孔は開いていて『アァ死んでしまった!』と私は顔を覆って悲鳴を上げた。

 そのまま死んでいてくれた方がどれほどキリにとって幸せだったのかわからない。でも死はそう簡単に彼女に訪れてはくれなかった。

 翌朝早く、病院が始まるのを待ち切れずにつっばらかったままのキリを毛布にくるんで抱き抱え、動物病院のドアが開くのを待った。

 「どうしました?こんな時間に」時ならぬ時間の来院に驚き顔の獣医さんは、キリを一目見て眉をひそめ『これは…』と絶句してしまった。

『先生…』と私も次の言葉が出ない。

 七カ月に入った時、歩き方がいつもと違うのに気が付いた。つっばらかっているようなギクシャクした歩き方だった。

「キリ、どうしたの、何だか歩き方変よ。」

 キョトンとした表情で私を見上げたが、食欲には特に変化はなかったし、私の気のせいかもしれないと、そのまま忘れるともなく忘れかけていた時、突然《硬直》が起こった。

『治療方法は多分ないでしょう。』と言われ、それでもと他三軒の病院を廻って見た。どの病院でもおざなりの診察だけで結果は同じだった。当のキリは毛布の中で少し身体を動かして何か言いたそうだった。

 入院させるわけにもいかず、家に連れて帰り大きめの箱に毛布を敷いてキリを寝かしてやろうとすると、一生懸命手をつっぱって立ち上がろうとする。上半身を手で支えてちょうど横座りするような姿勢で座ることができた。とにかく何か食べさせてみようと、瓶詰のレバー入りベビーフードの蓋をポンと開けると鼻をヒクヒクさせる。これはキリのお気に入りのフードなのだ。指につけて口の中に運んでやると飲み込むことはできた。時間はかかるけれど気長に食べさせてやることにしたが、問題はトイレだった。つっぱらかった状態で下半身麻癒しているはずなのに必死でトイレに入ろうとする。抱き上げて入れてやると、ほっとしたようにおしっこと少しばかりのウンチをする。

『いったいこの病気は何なのか』正確に知りたかった。 このまま何もできないで衰弱死はあんまりだ。

 友人たちに問い合わせ、世田谷の上野毛にあるM病院を紹介していただいて、キリと共に上京。動物愛護協会の専任獣医師を務めていらした方で穏やかな優しそうな先生だった。とても丁寧にキリの身体を診察して説明して下さったところによると、

『脊椎の病気で純血種のそれもインブリードの多いブリーディング特有の病気であり、発病したら治療方法は無い』やはり治療方法はない病気だった。本人にとってもとても辛い病気だから、むしろ楽にしてあげた方が』と言うのが先生の意見だった。

「キリ、あなた楽になりたい?」

 帰りの電車の中で私は何度も何度もキリにたずねた。開いたままのキリの眼はうなずいているようでもあり、イヤイヤをしているようでもあった。電車を降りてその足でかかりつけの獣医さんの所に寄り、M病院での診察の結果を伝えると先生もうなずいて、「私も同じ意見」と言った。

 長くなるかも知れないし、突然かも知れないし、でももし急に具合が悪くなり、とても苦しむようなら、その時は、その時は私の手で彼女を楽にして上げなくてはならない。

 すーっと眠くなって息が止まるという薬を譲り受けて《いざという時は》と私は覚悟を決めた。

 辛い毎日が始まった。何が悲しいと言って“トイレに入ってしたい”というキリの必死の願いほど悲しいものはなかった。トイレの箱を、出たままの爪でカリカリと力無く引っ掻いて“シタイ”と私に訴える。顔を動かすこともできないから見開いた大きな眼だけで私の動きを追う。横になって眠ることもできず、神社の狛犬のように横座りに座ったままそして突然何の前触れも無く襲ってくるケイレンと硬直。その度に《アアこれが最後の時であれば》と幾度願ったことだろう。

 【いのち】が終ることを【祈る】日々だった。トイレの中で少しばかりのおしっこをしてとてもうれしそうに眼を細めていたキリの天使のような表情を、私は多分一生忘れることができないだろう。

 発病後一カ月半ほどで、キリは死んだ。 私が彼女を自分の手で往かせたかどうか、それについては触れずにおきたい。  これはもう15年も前の出来事です。

 硬直性の脊髄の病気を起こす原因は、はっきり判っていないが、インブリードの多いブリーディングによる繁殖猫のケースが圧倒的であり、また極端に身体が小さいのも明らかにインブリードの弊害が考えられる。

 「キリがあんなに小さかったのは」「脊髄の病気があったのは」と考えるとき【命】に対する何と重い責任がブリーダーに与えられているかを改めて思い知らされた。

 インブリードの弊害が出るのはほんのわずかな確率かも知れない。0.001%の確率であったにしても、その0.001%にあたってしまった猫はいったいどうなるのだろう。不運な猫で済ませることはできない。

 確かにある種を確率することはその品種が固定されるまでは、多分数多くのインブリードが行われ、いとこ同志、兄妹、父と娘、母と息子と血の濃いもの同志が交配を繰り返るされるのは、必須条件であることを考えると、ただただそれを否定することは出来ないことでは有るけれど…。

 出来ないことではあっても、やはり私はキリの死を思い出すとき、無条件で認めることは出来ない。少なくとも【命】がどんな重さを持っているかを考えることなしで、ブリーディングは行って欲しくない。

 最近猫雑誌の広告欄を利用するブリーダーの数だけを見てもその多さに驚かされる。 自称ブリーダーの方たち、あなたの組み合わせが猫たちの間で弊害を持つ仔猫が出た場合、あなたはどんなふうにその仔猫に対する責任を持ちますか?その小の面倒を一生見守っていけるだけの愛情と勇気が持てますか?  また、日本の家屋事情を考えたとき、この狭いスペースの中でどれだけの自由空間を猫たちに与えることができますか?狭ければ、狭いだけ猫たちにたまってくるストレス。数が増えれば一人一人にに向き合う時間も限られて、目が行き届かなくて悲しい思いをしている猫たち、いませんか?  どんなに広いスペースを与えたとしても、それはあくまで限られた自由でしかなくて人間本位な考えの枠から一歩も出ていないということをいつも忘れないで欲しい。

 ブリーディングをはじめた時、獣医さんのところで「あなたはブリーダーですか」と問われ、「エエ、そうです。」と誇らかに答えると露骨に厭な顔をされ、その時はなぜかわからず面食らってしまったが、今にして思えば、”なるほど”と思い当たる。

 私を含めたブリーダーの皆さん、ブリーディングをするということは【いのち】を造り出す、ものすごく重い責任ある仕事であることを、自覚してください。生まれてくる【いのち】の重さを、あなたの掌のなかでじかにしっかり感じてください。守ってください。

 あなたがこの世に送り出した、【いのち】なのだから。