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Never forget 3.11 (5)

  • 2014/03/15 02:11

クレド会報47号から「東日本大震災」を連続で取り上げておりますが、最後に穂高忍様からのご寄稿をご紹介いたします。 穂高様は80歳、アビシニアンの女の子との二人暮らし。ショーとは関わりなく、ただただ猫が好きという愛猫家の一人として会報の原稿ご協力、ショーごとの御寄付など長年に渡り親しくお付き合いさせていただいてまいりました。クラブって、このような方々の温かいご支援なくしては成り立たないものなのですね。震災の後、皆様に呼びかけて下さって、たくさんの御寄付を集めていただき感謝のきもちでいっぱいです。  では、クレド会報震災特集にお寄せいただいた、最後のご寄稿です。  

 

             改めて知る命の尊さ
                                                 穂高 忍

 一年前の三月十一日、今も信じられない未曾有の大地震、一瞬にして家も車も船も人も生き物達も、町丸ごと飲み込んでいった津波の強烈な映像が、今テレビから流れています。インド洋の大津波は想像もつかない世界でしたが、ここからインド洋沿岸の被害をあらためて知ることを得ました。
 東日本の大津波は、広範囲の出来ごとでしたが、現実は人や暮らしぶりも一部分しか見えません、ただ瓦礫の山から推察するばかりです。そして、福島原発事故、発電所そのものの映像があっても目に見えない放射性物質は映像からは見えません。汚染の拡がりが不安と共により重く、より暗く心に押し込まれ沈んでいきます。
 災害時に犠牲になるのは、生き物達です。特に家族同様に暮らしていたペット達は、避難所では拒まれ行き先に窮するのです。
 木片によじ登り、漂いながら、また、廃屋で庭木に繋がれたまま、また、鎖を放たれたままのこの子達は虚ろな目で飼い主の助けを一途に待つばかりでしょう。
 追い回されて捕獲され、保護された子達が狭いところで力なく鳴く姿をテレビ映像で映されるとき、私は思わず、申し訳ないけれど辛く哀しくてスイッチに指を伸ばして消してしまいます。
 福島原発の事故が報じられ、今まで安全を信じて暮らしてきた人達は思いもかけない事態に遭遇したのです。
 警戒区域、避難区域の人達はやむなく住みなれた我が家を離れることになり、被曝の影響で限られた物だけを持ち、着のみ着のまま 逃れることになったのです。
 昨年の六月、柏市のN社宅で、被災者の方の受け入れをしました。その時、市から救済物品の提供を募っていましたので、私も同県人として微力ですが協力することにしました。提供品の掲示を見て、何軒かの方が来られました。最後八月に、二人の姉妹の方が尋ねて来られました。体格の良い妹さんは、幼い頃に聴力を失ったそうで、言葉は発せられますが会話にはなりにくい様でした。そんな事で外出することを拒むのですが、今日は連れてきましたとの事。早速リビングに招き入れ、私はお姉さんと郷里の話や必需品をお聞きしていました。その折、私の家の猫が和室から姿を現し、誰が来たのとばかり、ふくよかな身体の彼女に体をすり寄せていきました。今まで無言で不安顔だった虚ろな目が一瞬輝き「あゝ、あゝ、猫ちゃん」「可愛いい~ね」と連発して、幼児の様に生き生きと元気になったのです。そして「私、あちらの家から、この猫連れてきたの。」と胸ポケットから写真を出して、その猫の事を話し続けました。
 その穏やかな顔に、彼女と猫ちゃんの相互の強い繋がりを知り、何ものにも代えがたいものだったのだろうと思い、その空気に私もホッとしました。
 小型の車にあれこれと一杯詰んで、姉様は「このご恩は一生忘れません。有り難うございました。」とにこにこ顔で車を進めて帰っていかれました。聴力を失った彼女の大切な宝物の猫ちゃんを災害地から連れ出す事ができた話に、私の押しつけられる様な胸のつかえが少し下がった思いに、顔が自然とゆるみました。
 三月十一日のNHKスペシャル生中継“被災地の夜”が9時pmから放映されました。警戒区域は、西部映画のゴーストタウンの様な状態で、町も田畑もそのまま、唯々恐怖で息が止まりそうでした。そこへ農家から放された二、三頭の痩せ細り背骨が立ったような牛が餌を探す姿がありました。関係者の方が空しい声で「あれ達も近々薬殺されるのです。」と肩を落として語られたのを聞き、命ある多くの生き物達の声なき声を思い、耐え難い気持になりました。
 被害を受け、犠牲になった多くの生き物達に合掌し祈るだけです。
里親になられたという話も聞きましたが、彼女の猫ちゃんの様に救われた例は少ないのでしょう。
 改めて、命の尊さを強く感じながら、ここでペンを置きます。      

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